見つめるのも傍にいるのもつらい








 病室の白いドアの前で、私は深く深呼吸をした。すってはいて、すって、はいて。気持ちを落ち着かせ、また決意する。
演じる、演じる、演じる、上手く演じる。そう念じて、私は冷たいドアノブに手をかける。キイ、という音もせず軽い力でドアは開いた。
「かなえ!」
生き生きとハッキリ発音して、あいつの名前を呼んだ。今日もあいつは起きてた。
ま白いベッドに横になりながら
「何だよー。またシュウかよぉ。」
わざと嫌味たらしく、かなえは眉間にしわをよせて、睨んだ。
「何だもクソも無いね。暇だもん。来ちゃ悪い?」
「暇つぶしでお見舞いくるとは、いい度胸してるねアンタ。勉強しろよ。落第するんじゃない?」
「それだけ皮肉言えるなら、元気じゃんか。あ、実は学校わざとサボってるな。」
 大丈夫だ。今日も、演じれる。「いつものあたし」を演じれる。心の奥底で軽く安堵して、またかなえとの他愛の無い話に没頭する。
本当に、他愛ない話ならいいのに、と何度思っただろうか。他愛ない話、他愛ない学校、他愛ない冗談。2週間前までは、全部手に入れてたのに。
 2週間前に、かなえはこの病院に入院した。しかも、個室。
どんどんかすれていくかなえの声。どんどんつややかさとしなやかさを失っていく髪、2週間前までは輝いてた肌に、少し吹き出物ができていた。
かなえが、おかしい・・・。何かの病気らしいのだが、私は病名を聞いてない。
聞いてしまうと、もう完全に戻れないような気がするので、逃げている。私だけでなくかなえもだけど。
 色々雑談した後
「もう帰るね」とかなえに言うと
「早く帰れ」といわれた。
パタンとドアを閉め外へ出、ふぅ、と息をついた。疲れたわけでない。癖になってしまってるのだ。演じることの終了の合図。
 かなえの病気は、決して小さなものではない。かなえを見ていれば分かる。顔色が少し曇ってて、むくんできていた。毎日見舞いに来てると、殊更分かる。
来るたびに、かなえの何かが削られていって、減っていっている。怖かった。そんなかなえを見るのが恐ろしかった。
だから演じて、誤魔化してるんだ。  いつのまにか病院の外に出ていて、家路についていた。

次の日も、かなえの病室の前で3分の決意。ゆっくり白いドアを押し、
ハキハキ元気に「かなえ!」と呼ぶ。
 かなえは、寝ていた。私はそそっとかなえの横に立って、少しの間かなえを見つめた。
今日も少し、悪くなっているようだ。寝ている顔にさえ、病魔を感じる。
ずっと見ていたが、かなえがピクリとも動かないので、悪い予感がさっと胸をよぎった。とんとんとかなえの肩を叩いてみた。
が、返事なし。
さっきより強めに、叩く。返事はない。
 思わず
「かなえ・・・?」
と語りかけてしまった。かなえは動かない。
「かなえ?なぁ、かなえ?」
何度も呼んでも返事が無い。ますます膨らんでいく不安、黒い何か。背筋が震える。群青色と紺色を合わせた深い何かが迫ってくる。
これはやばい、と思いナースコールの方へ手を伸ばそうとした。その時、けたたましい笑い声が聞こえた。
「ぎゃははははははっ」
さっきまでげんなりと横たわってたかなえが、顔を上げ、笑っていた。私は心の硬い部分がほぐれてくのを感じた。
「何あんた、ださぁい!驚きすぎだって、ばーか。」
なによ、といおうとしたが、あまりのショックで足が震えてて何も言えなかった。怖かった。
「やーぱっりシュウは最高だね。本当にびびってたじゃん。ばかじゃねぇの、ふりに決まってるだろが。」
ぎゃはは、とかなえはまだ笑っていた。だけど、表面だけの笑いだった。長い付き合いの私には分かる。顔に表情を引っ付けて、何とか笑ってるのだ。私も、はは、と笑う。
そして、止まらずに、ぎゃはははと笑った。大声で、別に面白くないのに、本気で笑った。何かを2人で嘲った。ばかにした。止まらなかった。悲しかった。
 もう、かなえの顔も見れない。傍にもいられなかった。つらかった。必死で意地をはってるかなえを見たくなかった。折れてほしかった。弱音を吐いてほしかった。
 かなえに、死が迫っている。ソレを確信した時、急に頬の力が抜け、目が熱くなったので
「バイバイ、帰る」
と言い逃げるように私は病室から出て行った。
病院の玄関から出た後、堪えきれず私は「うーっ」と両手で目を押さえて、泣いた。
秋の風が手足を冷たくしていて、それも私とかなえの何かを細くしていくようだった。


 次の日、また私は病室の前に立っていた。土曜日で、晴れていた。秋の空は高い。
いつもの自分への決意はどうしてか今日は出来なかった。自分もかなえも誤魔化せないからだ。何も言わずかなえの病室に入っていくと、かなえが窓のほうをぼんやり見ていた。
かなえが学校へ通っているときも、かなえはよく窓をじっと見ていたことがあった。
だから私は病気になっても、かなえらしさは失われてないのだと嬉しく思った。
かなえは私の訪問に気付いたようで、目線が私のほうに移った。
「顔色悪いよ、シュウ。」
「えっ?」
思いもしなかった言葉だったので声が裏返る。
「今まで、無理してただろ。」
やっぱり、気付いてた。かなえが鋭いわけでなく、やはり「演じる」のにはどこか不自然な所があったのだろう。
「うん」
と肯定すると、かなえは目線を高くずらして
「・・・夜、怖いんだ。」
と呟いた。
「うん」
「夢がいつも不気味で。私の体が、どんどん腐っていくんだ」
「うん」
「夢じゃないかもしれない。いつかはそうなるんだから。」
「・・・」
「私、昔は高校卒業して、大学入って、彼氏作って、いつかは結婚して・・・みたいな人生を送れるって、当たり前に思ったの」
「・・・」
「大きな病気とか、大きな怪我とか、そんなのドラマだけの話だ、て思ってた」
「・・・」
「怖い」
 かなえの肩と手が震えていた。目には何も映ってなかった。
 私は返す言葉も見付からず、瞬きも出来なかった。
「母さんとか、父さんとか、みんな、自分が悲しいんだよ。私より、自分たちの方が可哀想って思ってるんだよ。」
どんどんかなえの目が俯いていく。
「本当は、誰より私が苦しいのに。怖いのに。痛いのに。みんな自分の方が苦しいって思ってんだ。」
ずるい、と小さく付け足した。
 私もずるいよ、ごめん・・・。心の中でかなえに語りかけた。
 それでも、かなえがちょっとでも自分の気持ちを吐き出してくれたから、私はほっとした。だが気持ちを吐露したからといって、病気が治るわけでもない。かなえの死が、まぬがれるわけでもない。
かなえも充分分かってるだろう。どうしようもない。
 どうしようもなくて、どうしようもなくて。かなえと私はお互いから目をそらし、涙を流した。
かなえは途中から嗚咽が混じり、「どうして、どうして」を繰り返していた。どうして、という言葉があまりに痛痛しくて耳を塞ぎたかった。
窓から翔けてくる風がカーテンを大きく揺らし、私たちを冷やした。


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